脚本はあの有名な「北の国から」「前略おふくろ様」を手掛けた倉本聰さん。TBSドラマ脚本を書くのは実に31年ぶり。
キャストも連続ドラマ主演経験者だけ10人という、ビートたけしさん、長渕剛さんほか、小栗旬さん、堀北真希さんなど、数超豪華キャスト陣と最強メンバーが集結!
台東区ではオール深夜ロケ!今回は特別企画としてお世話になった街の仕掛け人?!へのインタビュー有りです!

脚本はあの有名な「北の国から」「前略おふくろ様」を手掛けた倉本聰さん。TBSドラマ脚本を書くのは実に31年ぶり。
キャストも連続ドラマ主演経験者だけ10人という、ビートたけしさん、長渕剛さんほか、小栗旬さん、堀北真希さんなど、数超豪華キャスト陣と最強メンバーが集結!
台東区ではオール深夜ロケ!今回は特別企画としてお世話になった街の仕掛け人?!へのインタビュー有りです!
東京駅を出る最後の電車がホームを離れ、駅員たちも仕事を終える。すると、思いもかけない出来事が起こった。
JRのダイヤには記されていない一台の幻の軍用列車が東京駅を目指していた。列車の窓から外に広がる不夜城のような東京を食い入るように見つめる無数の目の主は、今から六十余年前のあの戦争の中、南の海で玉砕し、そのまま祖国に還れずボロボロになった英霊たちであった。
ホームに入ったその列車からは、次々と兵士たちが降りてきて整列する。その兵士たちに、秋吉部隊長(長淵剛さん)が訓辞を始めた。
「只今は、昭和85年8月15日。今から65年前の本日正午。我等が祖国日本は、畏れ多くも天皇陛下の大詔(たいしょう)を拝し、萬斛(ばんこく)の涙をのんで無条件降伏を余儀なくされた。」~
「この六十余年、敗戦の責を負う我々帝国軍人は、故国に残した家族・友人・子孫に対し、合わす顔なき英霊として南の海に漂ってきた。しかし、祖国は逞しく蘇り、我等の悲願した平和国家を世界に誇れるまでに再建したと聞く。本日、我々の帰還した目的は、僅かな時間乍ら、その平和を目の当たりに目撃し、かの海にまだ漂う数多の苔むす魂に、以って瞑すべしと伝えることである。」
そう、大宮上等兵(ビートたけしさん)、木谷少尉(小栗旬さん)を始め、南の海で玉砕し、夢半ばに倒れた戦士たちは、今一度、残してきた自分たちの思いを遂げるべく、やっと祖国に戻ってきたのだ。
ただ、彼らに与えられた時間は、夜明けまでの数時間だけである。部隊長の話を聞き終え、兵士たちは各々の思うままに散って行ったのだが・・・。
台東区では上野・浅草でロケが行われました!(霊だからオール深夜ロケ!)
上野
上野恩師公園内と公園内にある旧東京音楽学校奏楽堂や、浅草寺、仲見世、六区ブロードウェイ商店街、六区通り等で撮影が行われました。
上野恩賜公園、旧東京音楽学校奏楽堂では小栗旬さん(木谷少尉役)、向井理さん(日下少尉役)、生瀬勝久さん(立花報道官役)が奏楽堂のホールに入り込み、会話をするシーン。
月明かりを演出する為に外観からハイライダーで照明を当てています。
普段では見られない奏楽堂が見られます!
浅草
また、浅草寺、仲見世、六区ブロードウェイ通り、六区通りではビートたけしさん(大宮上等兵役)、温水洋一さん(坂本上等兵役)が戦時中の浅草と現代の浅草を見比べ懐かしむシーン。
ビートたけしさんの笑いの故郷“浅草”ということもあり、ビートたけしさん本人をはじめ、街の人々も撮影を喜んでいました!
|
|
| 台東区立旧東京音楽学校奏楽堂の撮影。劇中でも奏楽堂そのものとして出てきます!小栗旬さん(写真左上)をはじめ、向井理さん、生瀬勝久さんが奏楽堂のホールでの演技。閉館後、深夜~早朝にかけて上野恩賜公園を含めて撮影されました。 | |
|
|
| 誰もいない浅草寺雷門前から仲見世、宝蔵門までをビートたけしさんが温水洋一さんを背負って歩くシーン。写真では簡単な撮影に見えますが、実はこれはすごく大掛かりなシーンなのです!浅草寺、仲見世、参拝客など多くの人々のご協力を得なければ成し得なかったシーンです!ご協力誠にありがとうございました! | |
|
|
| 六区ブロードウェイ通り、六区通りなど浅草六区界隈の撮影。こちらもビートたけしさんと温水洋一さんが昔を懐かしむシーン。写真右は円形のレールを通りの中心に置いて、その真ん中にビートたけしさんを立たせてカメラが360度回転する仕組みです。迫力のあるシーンでよく使われます! |

浅草六区界隈でロケと言えばこの人!浅草がんばる会の河野さん!撮影業界では名が知れ渡っている・・・。なぜか?とピンとこない人が多いと思われます。
それは、まず撮影を行うにはその撮影場所の住人や町会、商店街などのご理解が必要だからなのです。
映像制作会社のスタッフが撮影内容の説明、交渉。特に台東区でも撮影が多い浅草では普段日常生活の中でそれは当たり前の出来事になりつつあります。
もちろん今となっては浅草だけではなく台東区中で当たり前の出来事と言っても過言ではありません。
そのお手伝い役として台東区フィルム・コミッションは映像制作会社と街の協力者の間に立って台東区で撮影が安全に行えることと、台東区のPRの為に日々活動を行っています。
今回はその多数の撮影の中で行われた「歸國」で台東区フィルム・コミッションと映像制作者がお世話になった浅草がんばる会の河野さんを本人のインタビューを交えてご紹介します。
浅草六区・・・浅草寺仲見世映画飲食街とさまざまな顔を持つ浅草は軽演劇の街でもあった。エノケン、渥美清、萩本欽一、大宮デン助、ビートたけし・・・。数多くのスターがここ浅草六区から世に出た。
その六区で一世を風靡した「デン助劇団」の元座員で、二枚目の義夫を演じた河野通夫さん。今現在は浅草六区通りで店舗を構え、その通りの会長、浅草がんばる会の会長を務めている。
ビートたけしさんと河野さんは古き友人説!?
【河野さん】友人というか兄貴分だよ(笑)。今となっては世界の北野と呼ばれ忙しい存在になったけれども、今でも店を訪れて来る。
彼が(ビートたけしさん)昔の浅草の若手芸人だった頃からで、あの頃はお金が無いもんだから店の外から覗いては店に来ている先輩芸人のごちそうになっていた頃からの付き合い。ダメな芸を教え込んだこともあった(笑)。
それが今では“世界の北野”と日本では知らない人はいないほどの存在。誇りに思っているよ。僕は“浅草の河野”だけどね(笑)。
浅草六区という芸の街から出て世界でがんばっている“世界の北野”と、浅草六区でがんばっている“浅草の河野”。店に訪れた時は必ず昔話で盛り上がるそんな仲だよ。
ここ浅草六区界隈でも撮影は多いが、なぜ映像制作者は河野さんを訪れるのか!?
【河野さん】いつの間にか今となっては浅草六区界隈のロケーションコーディネーターだよね(笑)。
もとはと言えばやっぱり彼(ビートたけしさん)が原因で、彼の映画「菊次郎の夏」の撮影を浅草で行って以来なんだ。それはそれは大変だったよ!ロケ当日は話を通していない場所で撮影をし始めたり、予期せぬアクシデントが次々と起こり、街を駆け巡ったりそれはもう大変だった(笑)。
それから僕を訪れる映像制作者は少しずつ増え、今は特に業界の予算削減が痛手だからなのか、この浅草にはロケセットのように建物から風景までが揃っているからここ1年くらいで撮影件数は急激に増え、ピークに達しようとしている。でもそれはマスコミに取り上げられることであって、浅草六区界隈の活性化にもつながるし、街にとってとても効果のあることだからね。それがコーディネーター役を買って出る理由のひとつ。
河野さんの思う浅草の撮影とは!?
【河野さん】撮影はやってもらうのは一向に構わないが、やっぱりここ浅草はいろんな人たちが店を経営していたり、住んでいたりする。特に今回のような深夜の撮影となれば、寝ている時間帯だから気を遣うよ・・・。
だからこそ“キチンとやってほしい。”キチンとやることは事前にあいさつ回りだったり、上にも言ったように撮影時の約束を守ること。
これは当たり前のことなんだけど、ここ最近は撮影が増え続けていて、今言ったことがキチンと行われていないことが目立ってきた・・・。キチンとやっていても、やっぱり撮影当日にトラブルが起こることがある。でも、キチンとやらなかったらそのトラブルは倍以上に膨れ上がる結果になるからね・・・。
映像制作者には常にそれを理解してほしい。やっぱり撮影が増えることで街の活性化につながるということはそれ相応に、僕みたいなコーディネーター役も必要だし、現場を管理する台東区フィルム・コミッションの専門的な存在も必要だと思うよ。
今回の「歸國」の撮影はいかかでしたか?
【河野さん】今回はあいさつ回りを台東区フィルム・コミッション、制作担当者とで街中歩き回ったからあれだけ大掛かりな撮影をしたにもかかわらず、トラブルもクレームも無かったから本当によかったよね!
彼(ビートたけしさん)は久々の浅草での演技で気分は良かっただろうね!途中で雨が降ってきて撮影が中止になった時もあったけど、そのおかげでまたうちの店で飲み明かすことができたからね(笑)。
是非、14日(土)の放送を楽しみにしているよ!
出演: ビートたけし、長渕剛、小栗旬、向井理、塚本高史、温水洋一、遠藤雄弥、生瀬勝久、ARATA、堀北真希、八千草薫、石坂浩二
脚本:倉本聰
演出:鴨下信一